誰かの日常

どっかの誰かが考えていること。どっかの誰かが悩んでいること。どっかの誰かが生きていること。脳内で生成させる誰かの日常を切り出した永遠の中二病ブログ

あの頃の自分の供養「お前が嫌いだった大人の正体はな」

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どうも。

今回は日常に関して。

最近、自分の仕事に愛着を持ちすぎていたせいか、割と真剣に仕事に取り組んで、失敗して、悩んでとかしてたんですが、久しぶりに自分が過去に執筆していた本や、文を読んだら、スッキリしました。

 

数年前までは「もしもこれが大人だっていうなら、俺は大人になんかならなくたっていい。糞食らえ!!」

だったんですが、いつのまにかその感覚はなくなってしまってたようです。

棘はいつしか抜け落ち、悟りきってしまったのでしょうか。

 

お前が考えていた大人は、あるいは見てきた大人は、汚れきったクズばっかりだったか?

当時の視野でみたら、お前よりも偉そうな態度をとるやつだったり、高圧的な態度のやつはそう映ったかもしれない。

でも今の俺から言わせて貰えば、表に顔を見せているうちは小物だ。安心しろ。

お前はこれから先、その探究心や、無謀とも言える勇気に駆られ、死ぬほど辛い思いをするし、人生的にいいとは思えない決断を山ほどする。

その中でもちろん汚れていく。お前はいい汚れ方をする。

子供時代に泥だらけで帰って怒られるぐらいの経験を踏んでいく。

 

結局の所、お前が踏んできた全ての道は、あながち間違ってない。

乗り越えた困難の数だけ、お前は強くなって、現実の色が見えなくなり、かなった夢をゴミ箱に捨てる。

 

ただ、下を向いた変わらない日常を送る大人にはなってない。そこは安心してほしい。

でも、それを愛せるようにはなってしまっている。

あの頃嫌っていたお前と、目標にしていた自分の、ハイブリットだ。

 

でも、あながち悪くないもんだぞ。

漫画みたいなおもしろい大人もいる。

 

拙い文章だけど、これで勘弁してくれ。

よくやってるよ。お前は。