誰かの日常

どっかの誰かが考えていること。どっかの誰かが悩んでいること。どっかの誰かが生きていること。脳内で生成させる誰かの日常を切り出した永遠の中二病ブログ

綺麗な過去は綺麗なままで

どうも。
7月に書けなかった事を書いていきます。
今回は過去について。

僕は18で社会に出ました。俗に言う『コーソツ』です。
専門に進んで、音楽の勉強をじっくりとしたかったんですが、その夢は叶わず、適当な場所に就職することになりました。

ここでは、A社としましょう。

A社は、空港業務を取り仕切る会社で、まじかで飛行機が見れる飛行機好きにはたまらない会社です。
ただ、業務はかなり大変で、ひたすら貨物を積み付けるだけの作業で、いいグループに恵まれなければ、数日で辞めてしまうほどの究極重労働。
残業時間もえげつなく、夏場の上屋温度は35度以上。よくみんな倒れなかったなと思う。

そんな中でも、いや、そんな中だからこそ、人間関係が大事になる。
同期は宝物だ。

あまり大きな会社ではなかったけど、毎年約50人から80人がはいってくる会社で、お盆、クリスマス、年末を過ぎ、1年が経つ頃には5人から10人ほどになっている。この中で、3割は仕事のキツさ、6割は人間関係で辞めていく。

人間関係というのは、良ければいいほどいいってもんじゃない。絶妙な距離感が大事だ。あまりに近すぎると過ちが生まれる可能性を孕むし、遠すぎるとそもそも話にならない。

そんな中で近過ぎず、遠過ぎず、ちょうど良くないはずがちょうど良いみたいな、絶対的距離感の心友が2人いた。極端な話、運命が決まっていて、出会うべくして出会った。そうじゃないとつじつまが合わないぐらいあの空間で必要な2人だった。

1年半にも及ぶ半共同生活は、その当時の人生で1番の輝きだった。

しかし、20代を超え、生き残り組の俺らも、別々な道を進むことになった。そういう絆で結ばれているグループは、誰か1人が抜けると、自然に解体する傾向がある。環境にもよるけど。

そうして離れ離れになり、3年。
あっという間だとも思うし、長かった気もする。
ちょこちょこグループ電話をしたりしてた。その回数も減ったし、ラインも減ったし、お前はいなくなったし。

2017年、9月12日、17時16分以降グループラインに既読は付かず。
10月19日。お前の誕生日。メッセージを送るが既読をつけず。
熊本地震の復興の手伝いするとか言ってたかな。

お前のせいにするわけじゃねぇけど、みんな変わったよ。

ちゃんと現実を生きてたよ。ちゃんと大人やってたよ。
俺はそれがなんだか悲しくてな。
なんだかって書いたけど、すげぇ悲しくてな。
本当はこんなこと書きたくねぇけど、本気で悲しかった。

俺だけだったよ。変化がないのは。
それは喜ばしいことではないんだけど、俺は誇らしくあの頃の俺をやってるよ。
俺はまだティッシュも食べるし、うじ飯も炊けるし、全裸で走り回れるし、バカだし、絶対には絶対従わないぜ。

馬鹿だよな。本当に。

それでは。