誰かの日常

どっかの誰かが考えていること。どっかの誰かが悩んでいること。どっかの誰かが生きていること。脳内で生成させる誰かの日常を切り出した永遠の中二病ブログ

目線が大切だという事は自分が1番よくわかっていたのに

どうも。
おはこんばんちわより、どうもで全て通りますね。
今度からどうもにします。

久しぶりの更新になります。約1週間ぶりですね。

日常の話になるんですが、あんまり人間は舐めない事ですね。
過去記事の『世界を認めていく作業」で散々書いたんですが、僕自信がまだいろんな分野を認めきれていない。
否定するなよと口で言いながら、自分が王様になっていたようです。

『自分は今どの地点にいますか?』

そう質問されて、あなたはしっかりと答えられますか?
答えられたあなたは素晴らしい。きっとすごい人です。
僕も最近まで答えられたのですが、今はめっきり答えられなくなりました。

常に高い目線で。そう思って生きてきた結果が、今の成功だと思っているんですが、『日常』というのが、その目線がどれだけ下がっているのかを気付かせないに目隠ししているのです。

同じ環境で数年生きれば何となくその場所を掌握したような感覚に陥ります。別にしてもないのに。
僕みたいな仕切りたがりがそのいい例で、別に何もできていないのに、ずっといる場所、あるいはその近辺を仕切っていると勘違いしてしまうんです。
そして、自分が、1番になってしまう。ナルシズム的な表現ではなく、俺に敵はない。どんどんかかってこい。そういう状態に近いです。

そんな中でしばらく『王様』をやったとしましょう。
そうすると、いつのまにかはるか下の方を眺め、満足している自分が玉座に座っているんです。
主観だけで生きている人には無縁の話です。羨ましい限りだ。成長のない人生も、また一興。客観視も大事ですが、それよりもさらに広い『第3の視野』がさらに大事になってきます。

客観視が得意だなんて表現は、どれだけ人の目を気にして生きているんだという話になってきますが、それは今や恥ずかしい話なんかじゃないんです。

7月4日は特別な日でした。
いい体験ができた日。
色々な話を聴けた日。
そしてそれを今の自分に置き換え、それを第3の視野でしっかりと見直せた日。
自分がどれだけ低い視野であーだあーだ言っていたか。全く。恥ずかしい限りです。

さて、今回は目線の話をさせていただきました。
改めて聞かせてください。
「あなたは今、どの地点にいますか?」

それでは。