誰かの日常

どっかの誰かが考えていること。どっかの誰かが悩んでいること。どっかの誰かが生きていること。脳内で生成させる誰かの日常を切り出した永遠の中二病ブログ

感覚が薄れていく

音楽と小説を書くのが生き甲斐だった。

 

「自分のため」に生き甲斐を続けている感覚だった。

でも、いつからだろう。

23を過ぎたあたりから、徐々に箔が落ちた。

いつの間にかダラダラと生きるようになり

目の前の幸せだけを追いかけるようになった。

 

「ずっとこの時間が続けばいい」

そう思っていた。

 

24歳。

ここら辺からお金に嫌われ出した。

山ほどあった金もいろんな形で失った。

いつの間にかお金に追われる日々が続くようになった。

 

そこからは目に見えていいことはなかった。

ただただ素晴らしい人格者の彼女がそばにいる。

僕はそれを支えている。

そう考えていたが、支えられていたのは僕だった。

ずっと足を引っ張る形になっていたんだ。

 

25歳の冬。

こうしてはいられないとさまざまな行動を取る。

全てマネタイズ。お金に関する動きだ。

全ての行動からお金を生み出せれば、月の苦労が減る。

そう考えた。

SNSの充実を図ろうとしているのはここが狙いだ。

 

事実、前澤砲はなかなかの威力で

約3000PV、800円近い収益を生んでくれた。

しかし、そのたASPが全滅。収益には至っていない。

環境のせいにしてYouTubeも更新しなくなった。

営業職ではあるが、そのコンテンツだけで生きていける分野ではない。

【続けることに意味がある】

間違いない。大事なのは継続力じゃない。

続け方なんだと、改めて知る。

僕は自分がSNSを通して、安定したお金を得られる未来が見えなかった。

 

だからもう、まずは現実を頑張るしかないと知る。

ただ、雇われるという感覚では、自分の価値を上げられない。

もう、個人事業主としてやるしかない。

そう思い立って今奈良にいる。

 

初めて食べるもの。

初めて見るもの。

初めていく場所。

当時の俺であれば、目を輝かせてこの現実を楽しんだだろう。

でも今は…正直余裕がない。

強気だが、小根は弱い。

人間の根っこの部分で弱っているんだ。

 

時折、自分で逝った仲間やじいじの事を考える。

なぜ自らの命を経ったのか。

なぜ生を手放せたのか。

でも…答えは出ない。

それでいい。

限りなく答えに近い感情は生まれてはいるが

俺には生きていくための理由がある。

お前らにもあったのに。

なぜそれを放棄した。

俺にはまだそれが分からない。

だから、まだしばらく会うことはないだろう。

反省会はまた今度だ。

 

状況が落ち着いた今でさえ、俺は悩んでいる。

早く時間が過ぎろ!と切に願っている。

 

どうか。

どうかあの頃の俺よ。

時折こうして顔を出し、物語を綴っておくれ。

時折こうして顔を出し、歌を編んでおくれ。

 

『感覚が薄れていく』